| 長谷部神社 |
 | 能登國大屋荘の地頭で、『平家物語』でも著名な鎌倉武士の長谷部信連公を祀る。 信連公が建保6年(1218)の逝去に先立ち自作の肖像を刻んで大町来迎寺の御影堂に安置したのが、当社の起こりという。江戸時代には武健大明神と称し、昭和10年由縁深い穴水城の麓の現在地に移転した。寛永21年(1644)建立の本殿は神社建築に特異な禅宗様で、殿内の宮殿は漆塗りに極彩色を施した唐破風の精緻なものである。 |
| 来迎寺 |
 | 真言宗の古刹で「勅定山」と号す。弘仁年中(810〜824)に実範が開基となって創建されたという。のちに長谷部信連公がこの地に来るに及び、本堂等を再建し宇留地関寺の阿弥陀如来を迎え本尊とした。なお当寺には全国でも珍しい「菊桜」があり、宝篋印塔、仏像、仏画、仏具等数多くの文化財も知られる。加越能観音霊場の第十九番で信連公守本尊の観音菩薩が祀られている。 |
| 瑞源寺 |
| | 穴水城跡の北西麓にあり、洞乗山と号す。信連公の後裔にあたる長(長谷部)一族は、能登の総持寺を外護し、曹洞宗の全国的発展を支えた。当寺は穴水城主の長氏が、文明16年(1484)櫛比荘荒屋村の観音寺を同城の隣接地に移して曹洞宗に改宗し、その菩提寺としたものである。寺の裏山には、戦国時代から江戸時代にかけての長家の墓地がある。 |
| 穴水城址 |
 | 大屋荘の地頭として当地に居住した長谷部信連公は、その城砦として、穴水平野と穴水湾を一望できる地に穴水城を築いた。やがて信連公の子孫は、能登の有力豪族として発展するが、長氏20世綱連まで390年の間、その居城となった。大手門は街道に面し、側面に海を控え、本丸・二の丸・三の丸や空堀の遺構も残されており、要害堅固な城でありました。今は「城山」と呼ばれて町民から親しまれ、ここに立って眺める風情は一段の趣があります。 |
| 歴史民俗資料館 |
 | 長谷部神社の前にあり、当穴水町の縄文時代から近代に至る歴史資料などが展示されている。信連公の後裔で加賀藩の老臣となった長家(33,000石)伝来の古文書(1,722点)は、県指定文化財で、藩政時代のしくみを知るうえで重要な資料とされている。 |
| 長谷部まつり |
 | 穴水城主の祖、長谷部信連を偲ぶお祭りで、音楽パレード、穴水音頭踊り、手づくりの「名あげそうけ御輿」が威勢よく先導し、キラビヤカな武者行列や長谷部神社とその末社の神輿が優雅に練り歩く。夜は穴水湾に灯籠流しや屋形船が揺らめき、夜空を花火で飾る。水と光と音とが幻想的な絵巻は見物人を幽玄の世界へと誘います。
|